2016年10月28日金曜日

いただきもの

10月最後の週は
毎日のように頂き物をしたり
ごちそうになったりする日々だった





















どれもそうそう食べられない
美味しいものだったり
貴重な時間だったり。

皆本当にありがとう。
どうやって何で返そうかという贅沢な悩みにまみれています。

2016年10月22日土曜日

So cruel and beautiful


ことしもこれを観に行ってきた。
改修が済んだ写真美術館を観に行くのも兼ねて。



減らない戦争と傷つく人々を目の当たりにし、
スポーツや自然現象を追う写真を撮るテクノロジーと手腕の向上に目を瞠る。

面白かったのは、
何年もの期間を追い続けた写真に関するクロニクルの部門(新設)。

世界は美しいけど本当に酷だ。

ではまた来年。

2016年10月1日土曜日

海と空

三浦海岸。

同僚男子たちと海辺バーベキュー。
そしてスーパーファミコン(古)。

仕事場が変わって丸5か月。

お肉が美味しいこと、
お酒が美味しいこと、
皆といてちゃんと笑えること、
そうしたことで日々が形作られているということ、
ひとつずつ思い出すことができて
ほんとうにありがたいなとおもう。



どうにか降らずに保った空。
さすがに他のお店やお家はそとでご飯してなかったので
一人占め感がハンパなかった。

2016年8月13日土曜日

Twinkle Lady

妹の30回目のバースデーを祝う。

言語聴覚士(ST:Speech Therapist)として働く彼女の日常は
なかなかの凄絶さと一期一会に満ちていて、
いつもとても考えさせられる。

今回の要旨はこんな感じ

・一命を取り留めたからと言ってハッピーエンドに続くとは限らない。
・末期にほど近いがんの闘病そのものがバッドエンドとは限らない。
・人間いつなにがおきるかは全くわからない。
 簡単に死んでしまうことも、簡単には死ねないときもある。

真面目な顔で
「がん保険」とかちゃんと入っとかないとダメだよ。
と言われました。

皆どんなのに入ってるのかしら、
とは聞いてはいけないらしいが
正直、皆どうしているのか知りたいわ。


ご飯は高輪のさくらタワーにある桂にて。
(お肉がぼやけておる…)

2016年7月10日日曜日

good luck

グループ内異動やら
海外転勤やら
社内異動やら
転職やら…
お互いに見送り見送られを
繰り返してはやX年。

その清濁併せ飲む強さが
この先でも活かされますように。

Welcome back to TOKYO.
We chose the tough and challenging one each other,
so I'm proud of you and hope your good luck.

2016年7月7日木曜日

星の時間

いつものエクセルシオールで
スペシャルティを淹れてもらいながらボケッとしてたら
ガラス扉の向こうから現れたのは
営業先の帰りに寄り道をする前職の後輩たちだった

思いがけない再会はまさに”星の時間”



星の時間というのは
「モモ」でマイスターホラが持っている時計が刻む瞬間のこと


それはね、あらゆる物質も生物も、はるか天空のかなたの星々にいたるまで、まったく1回きりしか起こりえないようなやり方で、たがいに働き合うような瞬間のことだ。そういうときには、あとにもさきにもありえないような事態が起こることになるんだよ。だがざんねんながら、人間はたいていその瞬間を利用することを知らない。だから星の時間は気がつかれないままに過ぎさってしまうことが多いのだ。けれども気がつく人がだれかいれば、そういうときには世の中に大きなことが起こるのだ。

―『モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 』(ミヒャエル・エンデ,大島かおり訳,1764)



とてつもなくすごいことではないかもしれないけど
滅多にないこと。

お互いの話もして、他のみんなの話も聞けて、とても嬉しかった。



「星の時間は気が付かれないままに過ぎ去ってしまうことが多い」

だから星の時間なのだろうけど

日々の出来事は意のままにならないことばかりのように見えるけど
自分以外の意図による動きでさえも使いこなした者のみが
次にコマを進めることができるのが今の世の中で

だから予定通りに物事が進まないことを愉しみ
星の時間でさえ利用するつもりで
白刃も花も踏み越えていかないと

何をどうあがいても私は一人しかいないし

一人でできることは限られているのだ


2016年6月25日土曜日

時計の針に願いを

「10年前の状態に戻ったね。いやそれ以上?」

全体的な精神状態を指してそう言われた。

自分でもなんとなく思っていたことだったので、うれしかった。

もうこの年だからね、という枕詞に
いまいるここから良い年の取り方しなきゃ、という意味を
与え/与えられるようにありたいねぇという話をした。




偶然にも
大学時代の友人とご飯やお茶をする機会が続く

落語が、アホな部下が、歌舞伎が、演劇が、誰かの元彼が、変な顧客が・・・
様々な時空とネタを行き来しながら
笑って話ができることを
とても幸せだと思う。

ともに都内に住んで働いていれば
ものすごく簡単なことのはずなのだが
その簡単なことが特にここ数年はまともにできなかった。

それほど意識していなかったけれど
間違いなくどこかに異常をきたしていたのだろう。


緑にうずもれた象牙の塔のまわりで
何ものからも守られて面白おかしく過ごした日々から
10年以上の月日が流れて
各々随分遠くまで歩いてきたわけだけれど

あのときああしていればとか
そういうことを私は二度と思わなくなる気がした。
というか、思わなくて済むようにしたいと思った。

2016年6月19日日曜日

愚かさを言祝ぐこと

こちらを観にいった。
2年越しのリベンジ。

もともとのストーリーにある
膨大なセリフと、絢爛なmadnessはそのままに

計算しつくされた演出と空間設計から
人の動きと色彩が鮮やかにズームアップされ

ただ圧倒される。

スーパー歌舞伎でも思うことだが、
和洋折衷の空間認識というか空間利用は
なぜこんなにも違和感なく許容でき、
それでいて美しいのだろう。


父が祖父から贈られたという
古い古い文学全集のシェイクスピア物語を
初めて読んでから約25年。

野村萬斎さんの鬼気迫る技量に
魅入られてから約20年。

すこし年を取って
幼いころとは違う描写や関係性に
目が行くことの醍醐味を久々に感じた夜だった。

少しは人の愚かさも学びながら、
まだまだそれを言祝ぐには至れていなくて、
狂気を磨くことにまだまだ憧れているのだけど、
それはそれでがんばってみたら良いことあるのかもしれない。

2016年6月9日木曜日

人が集まれば政治力。

組織の人数が一定以上になると、
会社だろうがなんだろうが物事を推し進めるには政治力が必要となる。


パワーバランス
信頼関係
瞬発力
頭の回転
愛嬌
生命力
男女差
...etc.


これらの総合評価で執るべき道筋や行動優先を
切り分けたり縫い合わせたりする。


マキァヴェリなんかが書いているのは
こういうことの集大成みたいなものだったりする。
なので、
機微を読み分けたり、
ステータス変化や合意形成ステップを意識して動けない人は
何らかのトレーニングが必要。


簡単に言い直すと、
ひたすら人間観察しまくる基本姿勢とか
それに溺れない面の皮とか必要だよねっていう。


気を抜いている暇などないのです。

2016年6月4日土曜日

気が付けば1か月


【そういえば】

転職してから1か月ちょっと経過。

タスク面は
想定よりずっと幅広い領域に手を突っ込ませて頂きつつ、、

精神面では
想定よりはるかに平穏な気持ちで過ごさせてもらっている。

「なにをするのかは自分で考えてね」というスタンスで、
ありとあらゆる問いを日々一緒に解いて下さるボスたちへの
深謝とリスペクトはもちろんのこと、

「もう使わないだろーな」
勝手に思っていた前職のカケラを、
文字どおり総動員してコトに当たることがほんっとうに多くて、
ここまで育てて下さった方々に心の底から感謝してばかりだったりする。


「こうあらねばならぬ」という
不文律とか圧のある空気といったものが、
良い意味でも悪い意味でもまったく存在しない今の仕事場は
本当にラクで。

しかし一方でそれは各個人の人間性を問われる場面が
非常に多いということで。

必要なルールや体制を編み上げていく中で
この感触が損なわれないように絶妙な余白をどうやって残していくか。

これが、ここからの唯一かつ最大のプレッシャーかもしれない。
いや?もう一個あるか。

五反田の西側でそんな日々をすごさせてもらっています。

Life consists not in holding good cards, but in playing those you hold well.


2016年3月26日土曜日

meaning of the conflict

想像と神秘のサグラダファミリア
監督:ステファン・ハウプト
(原題:SAGRADA: El misteri de la creació)
2012年/スイス/94分/16:9/カラー

サグラダ・ファミリア、日本語で言うならば聖家族教会
着工から133年余。いまだ未完の建物。

その光と影を追う物語。

多くの証言者や建設に関わる人物が登場するのだが
驚くほどシンプルに94分に収まっているリーズナブルさに舌を巻く。
明示したいことがはっきりさせてあるからだろう


・いつから、どのような経緯で作られ始めたのか
・なぜずっと作っているのか(中断の時期はなにがあったのか)
・バルセロナの人々にとってガウディ、サグラダファミリアとはどのようなものか
・作っている人は何を考えているのか
・作らなくていいんじゃね?と言っている人はなぜそうおもっているのか
・新たに生じている問題とはなにか

こういった事柄が
何度も映し出される聖堂の光こぼれる内部や、荘厳なファサードを通して
様々な人の物語を通して語られていく

個人的に面白かったポイントとしては、
監督のモノローグはドイツ語で、
総監督や彫刻家たちはイタリア語、
現地人の作業監督たちはカタルーニャ語、
音楽家の人はフランス語で、
建築技師や建設継続反対派の建築家は英語で、
それぞれ語る。

あくまでもありのままをストレートに切り取る姿勢が
画面に映るものの美しさや雑多さを彩っている。

完成予定は、10年後―2026年だそうだ。


▼映画予告編



















▼2026年の完成予想映像


2016年3月19日土曜日

2016.3.18

最終出勤日でした。
紳士たちからお花を、
淑女たちからお菓子や涙を、
遠方からのお電話や、
たくさんのメールを頂きました。
全く想定してなくて驚いたけど、
嬉しかったです。
 
間違いなく日本一のドメスティックブランドであるこのグループで過ごした10年が、
長かったのか、それとも短かったのか。
何度となく捉えなおして見るも、その度に姿カタチが変わる。
答えはちょっと棚上げかな。

ともあれ皆々様の後輩、部下あるいは同僚であったことに恥じぬよう、
引き続き精進を重ねていきたいと思います。