2016年6月19日日曜日

愚かさを言祝ぐこと

こちらを観にいった。
2年越しのリベンジ。

もともとのストーリーにある
膨大なセリフと、絢爛なmadnessはそのままに

計算しつくされた演出と空間設計から
人の動きと色彩が鮮やかにズームアップされ

ただ圧倒される。

スーパー歌舞伎でも思うことだが、
和洋折衷の空間認識というか空間利用は
なぜこんなにも違和感なく許容でき、
それでいて美しいのだろう。


父が祖父から贈られたという
古い古い文学全集のシェイクスピア物語を
初めて読んでから約25年。

野村萬斎さんの鬼気迫る技量に
魅入られてから約20年。

すこし年を取って
幼いころとは違う描写や関係性に
目が行くことの醍醐味を久々に感じた夜だった。

少しは人の愚かさも学びながら、
まだまだそれを言祝ぐには至れていなくて、
狂気を磨くことにまだまだ憧れているのだけど、
それはそれでがんばってみたら良いことあるのかもしれない。

2016年6月9日木曜日

人が集まれば政治力。

組織の人数が一定以上になると、
会社だろうがなんだろうが物事を推し進めるには政治力が必要となる。


パワーバランス
信頼関係
瞬発力
頭の回転
愛嬌
生命力
男女差
...etc.


これらの総合評価で執るべき道筋や行動優先を
切り分けたり縫い合わせたりする。


マキァヴェリなんかが書いているのは
こういうことの集大成みたいなものだったりする。
なので、
機微を読み分けたり、
ステータス変化や合意形成ステップを意識して動けない人は
何らかのトレーニングが必要。


簡単に言い直すと、
ひたすら人間観察しまくる基本姿勢とか
それに溺れない面の皮とか必要だよねっていう。


気を抜いている暇などないのです。

2016年6月4日土曜日

気が付けば1か月


【そういえば】

転職してから1か月ちょっと経過。

タスク面は
想定よりずっと幅広い領域に手を突っ込ませて頂きつつ、、

精神面では
想定よりはるかに平穏な気持ちで過ごさせてもらっている。

「なにをするのかは自分で考えてね」というスタンスで、
ありとあらゆる問いを日々一緒に解いて下さるボスたちへの
深謝とリスペクトはもちろんのこと、

「もう使わないだろーな」
勝手に思っていた前職のカケラを、
文字どおり総動員してコトに当たることがほんっとうに多くて、
ここまで育てて下さった方々に心の底から感謝してばかりだったりする。


「こうあらねばならぬ」という
不文律とか圧のある空気といったものが、
良い意味でも悪い意味でもまったく存在しない今の仕事場は
本当にラクで。

しかし一方でそれは各個人の人間性を問われる場面が
非常に多いということで。

必要なルールや体制を編み上げていく中で
この感触が損なわれないように絶妙な余白をどうやって残していくか。

これが、ここからの唯一かつ最大のプレッシャーかもしれない。
いや?もう一個あるか。

五反田の西側でそんな日々をすごさせてもらっています。

Life consists not in holding good cards, but in playing those you hold well.


2016年3月26日土曜日

meaning of the conflict

想像と神秘のサグラダファミリア
監督:ステファン・ハウプト
(原題:SAGRADA: El misteri de la creació)
2012年/スイス/94分/16:9/カラー

サグラダ・ファミリア、日本語で言うならば聖家族教会
着工から133年余。いまだ未完の建物。

その光と影を追う物語。

多くの証言者や建設に関わる人物が登場するのだが
驚くほどシンプルに94分に収まっているリーズナブルさに舌を巻く。
明示したいことがはっきりさせてあるからだろう


・いつから、どのような経緯で作られ始めたのか
・なぜずっと作っているのか(中断の時期はなにがあったのか)
・バルセロナの人々にとってガウディ、サグラダファミリアとはどのようなものか
・作っている人は何を考えているのか
・作らなくていいんじゃね?と言っている人はなぜそうおもっているのか
・新たに生じている問題とはなにか

こういった事柄が
何度も映し出される聖堂の光こぼれる内部や、荘厳なファサードを通して
様々な人の物語を通して語られていく

個人的に面白かったポイントとしては、
監督のモノローグはドイツ語で、
総監督や彫刻家たちはイタリア語、
現地人の作業監督たちはカタルーニャ語、
音楽家の人はフランス語で、
建築技師や建設継続反対派の建築家は英語で、
それぞれ語る。

あくまでもありのままをストレートに切り取る姿勢が
画面に映るものの美しさや雑多さを彩っている。

完成予定は、10年後―2026年だそうだ。


▼映画予告編



















▼2026年の完成予想映像


2016年3月19日土曜日

2016.3.18

最終出勤日でした。
紳士たちからお花を、
淑女たちからお菓子や涙を、
遠方からのお電話や、
たくさんのメールを頂きました。
全く想定してなくて驚いたけど、
嬉しかったです。
 
間違いなく日本一のドメスティックブランドであるこのグループで過ごした10年が、
長かったのか、それとも短かったのか。
何度となく捉えなおして見るも、その度に姿カタチが変わる。
答えはちょっと棚上げかな。

ともあれ皆々様の後輩、部下あるいは同僚であったことに恥じぬよう、
引き続き精進を重ねていきたいと思います。

2015年2月22日日曜日

北陸新幹線の切符とか金額とかそういうの(2月22日調べ)

東京から生まれ故郷の金沢まで新幹線ができて、
3月14日に開業する。

中高は名古屋で、今も両親は在住なんだけども、
生まれてから10年4か月を金沢で過ごしており金沢弁ネイティブです。

金沢弁はフリーで話せるしお年寄りヒアリングも余裕だけど、
名古屋弁はせめて妹あたりの名古屋っ子がいないと口から出てこないという、
謎の語学ハンデが今もあったりする。

さて話を戻して。

同郷の友人や、金沢ファンな方から話を振られることも出てきたので調べてみた。

【1】金額

普通車で下記のような感じ。
(グリーン車とさらに上位のグランクラス(?)という券種がある)

最長である東京―金沢間(往復)は14,120円

















ちなみに、西側の京都~金沢の在来線+北陸新幹線~軽井沢を組み合わせると15,910円。

この辺は特設サイト(後述)および、そこからリンクされるページにある電子パンフが見やすい。

個人的には「上越妙高」とかいう駅がアツいです。
JR東日本にスキーツアー列車を出してもらわないといけない気がしている。

あと学生時代だったら訳分からない本州環状線ツアーすごろくとかやりそう。(やりたい。)


【2】予約

①西の勢力

もちろん今どきの新幹線なのでちゃんと特設サイトがある。

北陸新幹線特設サイト(運営:JR西日本)
http://hokuriku-w7.com/#index
top

だが、このサイトをぐるぐる回っていると可笑しいことに気付く。

”e5489”という西日本エリアのチケット予約サービスをプッシュしていて
J-WESTというJR西日本のカードを持ってる人がお得なんだそうだ。

▼しかも最後はJR西日本のこういうバナーに行きつき、
 下段を見て「お受け取り頂けない・・・?」となる。


















・・・のだが、騙されるなかれ、東日本でも切符とれるから。東京・上野発あるから。
(こんなことになってる地政学的詳細は③まとめへ。)


②東の勢力

我らが東日本住民のための「えきねっと」でも買えまする。
(ちゃんと少しだけ割り引かれます。)

https://www.eki-net.com/top/jrticket/hokuriku/

予約画面からちゃんと選べたよ▼



③まとめ

▼元々のすがた

















なぜ西日本なのさと怪しく思ってはいけない。
つまりは、北陸3県というエリアは神代の昔から上方の裾野だということなのである。

つい先日、新たな都とならしゃった武州など・・・(以下略

夜行バスも大学も、多くの人が西に行く。

うちのコンピュータばあちゃん(87)の海外お出ましも毎度関空発着だ。

その版図が北陸新幹線で山をも超えて人と情報がつながることによって、
美しい田園都市である金沢や富山がどのように変貌を遂げていくのか
個人的には非常に見ものだと思っている。

今日はここまで。

2013年2月24日日曜日

遺体と死体

「遺体 明日への十日間」を観てきた。
封切日に映画行くのも有楽町スバル座も久しぶり。

1.映画の役割

 この作品は標題のとおり「悲しむ時間さえない」状態に直面した10日間を映像にして再現したものだ。
 映画の最後(震災発生から10日程経過後)になると遺体は遺体袋に入って運ばれ、体育館の中も最低限の衛生状態や秩序が保たれる。それは私含め多くの人がインターネットやテレビで目にした遺体安置所の様子とそう変わらない。
 「そこにいたるまでの情景」、誰も切り取ることも映すこともできなかった、記憶の中でゆっくりと風化していくのであろう「空白」の部分を、言葉や静止画ではなく、群像描写として、事実を伝える映像として作り出しているのがこの映画だ。
 実現できている作品がどれほどあるのかは分からないが、再度作り出し目の当たりにさせることができる、というのは映画の持つ特異な役割のひとつと言えるのだろう。

 とはいえ、凄まじかったであろう臭いや凍り付くような寒さは映像のみで伝えるには限界があり、何となく推し量ることしか適わない。だが、描かれる人々の言葉や、動きの端々から、先の見えない辛さとともにそれらの情景もかなり伝わってくる。力のある役者さんが揃えられている意味がだんだん見えてくる。余談だが、出演者の表記は50音順となっており主演表記もない。

そして一方で、話の流れはルポルタージュに徹する。
あくまでもドキュメンタリーとして遺体安置所を舞台に震災後10日間を切り取る。
描かれるもの以外のその前もその後もない。
このルポを、映画で、再現する、その行為の意味。

これを企画として立ち上げた人すごく強くて勇気ある。そう思った。


2.電気がとまるということ

 映画の舞台は釜石市。
 市内を二分する川からみて海側が津波にのまれ、川向こうの高台部分、そして川からみて山側は津波の被害を免れる。
 被害を免れたとはいえ、人々は、家はあるが食料はろくに手に入らず、電気等のライフラインがほぼ断線している。その結果、情報がなく、起きていることの悲惨さがうまく手に入らない/伝わらない。だけど遺体を運び、検死し、並べ、家族を捜す人や遺体から離れられない人の対応に追われ、市長に掛け合い、そうした時間を通してすこしずつ現実を目の当たりにしていく。
 そして作業は日が暮れると終了する。

 改めて電気がある暮らしと情報の伝播について考える。
 電気の供給が万能ではない場所に生きることの強みと弱み。
 情報って何だ。

 地域コミュニティは脆弱となり、あるいは消滅して久しい。
 私自身、隣に住む人とすら町中で顔を見てもわかるかどうか自信がない。
 その反面、私たちは電気なくしては得られない情報ネットワークの中にコミュニティを再構築したり見いだしたりする場面がいよいよ多くなってきていて、電気の供給が大前提のネットワークやコミュニティは電気によって生き続けている。現時点で、このことに向き合っていないからと言ってそれほど困る訳でもないが、これから起きる出来事によっては、少なからぬ代償を伴い私たちの肩に食い込んでくるのだろう。情報が極端に少ない状況下において描かれる強さと弱さを観ながらそう思った。


3.身近であるはずの「死」

 津波で冷たい海に飲まれてしまった人々の身体。
 それは遺体かそれとも死体か。
 前述したコミュニティとの分断の結果として、私たちは、いや少なくとも私にとって死はそれほど身近な物ではない。

 本来は身近であるはずにもかかわらず、私のコミュニティにおいて、年齢柄友人の結婚や出産は聞けども、死はあまりない(これからあるだろうけど。)。祖父、曾祖母、大叔父たちの死。それとて通夜に付き添い遺体に触れて涙したのはその半分くらいだろうか。一方、金沢で独り暮らす祖母のコミュニティはそうでもない。死もあれば生もある。若干、病や死の話が多いかもしれない。日本ではすでに生まれる人間より死にゆく人間の方が多いのだから、祖母のコミュニティの方が普通の状態に近いのではないか。

 劇中で西田敏行演じる民生委員のアイバさんが話す内容がさらに別の一隅を明かす。
 親族がいても見送る人のいない、葬儀社の人間だけで見送る遺体があるのだという。

 どのようなコミュニティに生きるのか。
 どのように家族と、そして生と死と向き合って生きていくのか。
 そういう問いを突きつけられた気がした。

映画「遺体 明日への十日間」
平成25年2月23日全国公開
監督/脚本:君塚良一
出演:西田敏行、緒方直人、勝地涼、國村隼、酒井若菜、佐藤浩市、
佐野史郎、沢村一樹、志田未来、筒井道隆、柳葉敏郎