2016年6月25日土曜日

時計の針に願いを

「10年前の状態に戻ったね。いやそれ以上?」

全体的な精神状態を指してそう言われた。

自分でもなんとなく思っていたことだったので、うれしかった。

もうこの年だからね、という枕詞に
いまいるここから良い年の取り方しなきゃ、という意味を
与え/与えられるようにありたいねぇという話をした。




偶然にも
大学時代の友人とご飯やお茶をする機会が続く

落語が、アホな部下が、歌舞伎が、演劇が、誰かの元彼が、変な顧客が・・・
様々な時空とネタを行き来しながら
笑って話ができることを
とても幸せだと思う。

ともに都内に住んで働いていれば
ものすごく簡単なことのはずなのだが
その簡単なことが特にここ数年はまともにできなかった。

それほど意識していなかったけれど
間違いなくどこかに異常をきたしていたのだろう。


緑にうずもれた象牙の塔のまわりで
何ものからも守られて面白おかしく過ごした日々から
10年以上の月日が流れて
各々随分遠くまで歩いてきたわけだけれど

あのときああしていればとか
そういうことを私は二度と思わなくなる気がした。
というか、思わなくて済むようにしたいと思った。

2016年6月19日日曜日

愚かさを言祝ぐこと

こちらを観にいった。
2年越しのリベンジ。

もともとのストーリーにある
膨大なセリフと、絢爛なmadnessはそのままに

計算しつくされた演出と空間設計から
人の動きと色彩が鮮やかにズームアップされ

ただ圧倒される。

スーパー歌舞伎でも思うことだが、
和洋折衷の空間認識というか空間利用は
なぜこんなにも違和感なく許容でき、
それでいて美しいのだろう。


父が祖父から贈られたという
古い古い文学全集のシェイクスピア物語を
初めて読んでから約25年。

野村萬斎さんの鬼気迫る技量に
魅入られてから約20年。

すこし年を取って
幼いころとは違う描写や関係性に
目が行くことの醍醐味を久々に感じた夜だった。

少しは人の愚かさも学びながら、
まだまだそれを言祝ぐには至れていなくて、
狂気を磨くことにまだまだ憧れているのだけど、
それはそれでがんばってみたら良いことあるのかもしれない。

2016年6月9日木曜日

人が集まれば政治力。

組織の人数が一定以上になると、
会社だろうがなんだろうが物事を推し進めるには政治力が必要となる。


パワーバランス
信頼関係
瞬発力
頭の回転
愛嬌
生命力
男女差
...etc.


これらの総合評価で執るべき道筋や行動優先を
切り分けたり縫い合わせたりする。


マキァヴェリなんかが書いているのは
こういうことの集大成みたいなものだったりする。
なので、
機微を読み分けたり、
ステータス変化や合意形成ステップを意識して動けない人は
何らかのトレーニングが必要。


簡単に言い直すと、
ひたすら人間観察しまくる基本姿勢とか
それに溺れない面の皮とか必要だよねっていう。


気を抜いている暇などないのです。

2016年6月4日土曜日

気が付けば1か月


【そういえば】

転職してから1か月ちょっと経過。

タスク面は
想定よりずっと幅広い領域に手を突っ込ませて頂きつつ、、

精神面では
想定よりはるかに平穏な気持ちで過ごさせてもらっている。

「なにをするのかは自分で考えてね」というスタンスで、
ありとあらゆる問いを日々一緒に解いて下さるボスたちへの
深謝とリスペクトはもちろんのこと、

「もう使わないだろーな」
勝手に思っていた前職のカケラを、
文字どおり総動員してコトに当たることがほんっとうに多くて、
ここまで育てて下さった方々に心の底から感謝してばかりだったりする。


「こうあらねばならぬ」という
不文律とか圧のある空気といったものが、
良い意味でも悪い意味でもまったく存在しない今の仕事場は
本当にラクで。

しかし一方でそれは各個人の人間性を問われる場面が
非常に多いということで。

必要なルールや体制を編み上げていく中で
この感触が損なわれないように絶妙な余白をどうやって残していくか。

これが、ここからの唯一かつ最大のプレッシャーかもしれない。
いや?もう一個あるか。

五反田の西側でそんな日々をすごさせてもらっています。

Life consists not in holding good cards, but in playing those you hold well.