2011年8月28日日曜日

隅田川の花火

昨晩5年ぶりに花火を見に行った。

東京のそれも浅草寺の境内にふらりと行って、本当にそれだけでこれほど綺麗にみえるとは知らなかった。

大学生になってからくらいだろうか。
花火を見るといつも思うことがある。

一足遅くいくとか早めに脱出するときに(大抵会場は混んでいるのでそういうことになる)、その音を至近で聞いているだけだと、戦争報道の音声マイクから出てくる爆撃音と何ら変わらない。

風下に当たる場所にいると、暗い夜空に不思議な形で拡散していく煙とともに漂う火薬の香りも、半端ない勢いで迫ってくる。

きっとどこかの戦場でも似たような音と匂いがするのだと思う。

「みどりのゆび」のように、すべての武器から発射されるものを花と緑にすることはとても難しい。

だけど「火薬は花火に使うんだよ」っていうのを血で血を洗う場所で育って暮らしていく人たちにも伝えるような機会は、実現されてほしい気がするのだ。

同じ香り、同じ音、同じ危険性。
だけどこんなにも繊細で綺麗で一期一会の輝きがある。
そのことをもっと多くの人に知ってもらうことができないだろうか。

多くの電飾で明るいと言われる東京の空を、ここまでの明度で彩る技術は、もっと暗い夜を過ごす地域の空をどれほど明るく照らすことができるだろう。

何らかの富を手に入れたらそういうことに費やしたい。
一瞬の輝きでもいいから誰かのセレンディピティになるようなそういうこと。

私がビール片手に枝垂桜を模した花火に感嘆してるこの瞬間にも、シリアでは弾圧が続き、リビアでは最後の戦闘が続き、多くの人々が傷ついていることに思いを致して、そんなことを考えた。

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