2011年12月31日土曜日

柄にもないけど振り返り2011

2010年からの緩やかな変化の流れに、震災と異動という大きな外部環境変化が訪れたのが今年だった。

【その1】

異動については、「来たか」「マジか」という気持ちが半々。
正直なところ狼狽していた。

入社以来5年居た会社、4年すごした部署を離れるのは
明け方の余震が怖くてパジャマ着られないのと同じくらいに怖かった。

だが結果としては
一歩外に出たことでたくさんの物事が得られたと思っている。

実際に仕組みを売るために本社でどのような意思決定と投資が行われているのか。
そこを起点に全国で営業が繰り広げられているのか。
お金とデバイスとウェブそしてセキュリティって一体どうなっているのか。

いままで本当に紙に書かれたことしか知らなかったと実感した。
何かに「賭ける思い」とか「伝えたいこと」というものの重要性を初めて感じた。

オタクになる必要はないだろうけど
来年はもうすこし新たな仕事に関することのインプットしないと枯れてしまいそう。

【その2】

震災とかSNSとかそういうもののつながりとか。

これは2010年から続いてきたものだが、確実に関係性が太くしっかりしたように思う。

1月にあったMESHの集まりで出会った方々と出かけたり読書会したりした。
TRIFのおふたりをほんの少しだけお手伝いさせて頂く機会に恵まれた。
facebookの盛り上がりで、中高の友人たち、会社関係の普段はあまり会えない方々と繋がった。

ひとつひとつのことを書いていくときりがないけれど、私は2つのことを学んだ。

派閥や体裁、宗派といったあらゆる垣根を越えても、人は仲良くできる。
そしてむしろ新たな発見やいいこと悪いことをたくさん見つけることができる。
排除するのとか傷つけることとか関係性を壊すことは一瞬でできるけれど
どこを目指して何を願っているかということについて、ほんの少しでも共感できるなら
存在を認めあって生きていくのは難しくもなんともない。
ただし、考えていることは黙っていては伝わらない。
伝える努力、必要に応じて反駁する姿勢は必要。

あなたは何者ですか、というタグ付けが結構重要。
所属する会社や仕事でもいいし、ボランティア的にやっていることでも、何でもいい。
『あなたは何ができますか、何をしたいと思っていますか、
という問いに対する答えを、常にわかりやすく持っていること』
これがソーシャルに生きていくための重要な足がかり。

うまくきれいにまとまらないけど、この2つ。

【その3】

ここまでの2つの陰でおろそかになってしまったのが読書と語学。

本は、友人たちに教えてもらったのとかずっと読みたいのとかたまってる。
語学は英語のリスタートともう1つの言語。

震災の時にMESHの方々が作ったのがこれ▼


これを観ると
twitterの#prayforjapanのストリームに世界中からメッセージが溢れていて涙がでたことや、訳して発信したことへのお礼のリプライを貰って嬉しかったことを、昨日のことのように思い出す。

英語が多かったけれど、その他の言語もたくさんあった。
勉強したいな、しなきゃだなぁ、と素直に思ったのだ。





以上が2011年の振り返り。
振り返りなので変な決意とかは書かない。

社会人として今の会社およびグループ全体でかかわってる人たちにも
ソーシャルを通じて出会った知人・友人たちにも
プライベートでいつも支えてくれる人にも
本当に感謝している。

皆から得た力をどのように他に還元していくか、拡げていくか
恐らくはこれが次の年のテーマ。



2011年12月13日火曜日

ただいま東京


ただいま東京。

仕事で四国と九州の支店の会議でしゃべくってきた。
おじちゃんたちの方言にしびれた。
いろんなキーワードとか意見をもらった。
広い地域とそこを攻める営業を束ねる支店長は伊達じゃないということもよくわかった。 

仕事において得たこと生かすのはあたりまえなので割愛するけど
仕事以外の部分で強く思ったこと

このまま日本がシュリンクしていって沈んで行っていいんだろうか

そう思った。

彼らの生活も工夫も努力もネットワークも
このままではものすごい勢いで蝕まれていくのだと思う。
人口の減少やそれ以外の政府の失策でそれは加速する。

何ができるだろうか。
何をしたいだろうか。

全く考えてこなかったわけじゃないし
今年は仕事外のところで多くの機会と経験をもらったけど

もう少し深く考えて
行動し始めないといけないということを痛感したのが昨日と今日。

深みと苦みのある大人になりたい。
来年はそのための種を蒔くことになるのでしょう。


しかしそれにしても
飛行機とか電車とかで遠くに行きたい(できたら他人のお金で)と散々言っていたらあっさり叶いました。

やりたいことは口に出して行動にも移せば何とかなるものなんだなぁ。
ここに書かないことでもそれを感じることが多いです近頃。

2011年11月5日土曜日

中国語難しいけどいいかも

youtubeサーフィンで周杰倫JayChouを知ったのは最近のことだ。

とても有名な台湾人ミュージシャン兼俳優のようで、
ザ中華圏メロディーなものからいわゆるR&Bの流れを汲むもの、
日本ナイズされた弦楽バラードといった多彩な楽曲を作ったり歌ったりしている。

ザ中華圏メロディーに溺れないスタイルがあるというだけで強いなと感じるが
それ以上に楽曲で扱うテーマも面白く、歴史や世相をうたうものもある。

同世代にわかりやすく言うなら
「ひとりミスチルみたいな人」というとしっくりくるのではないかと思う。


しかし私は中国語がわからない。
しかし気になる曲は何言ってるか知りたい。

完全に15年前にカムバックである。
英語の成績はどん底だったのに
気に入った洋楽やディズニー楽曲は自分で訳詞を付けるほどだったあのアホ中学時代…。

そんなこんなで
昨年仕事絡みで手に入れて放置されていたこれ
google翻訳さんに手を借りつつ楽しんでいた矢先に見つけたのは、
中孝介がJayの日本語カバーをしている曲だった。

原曲は、ちょっと大人な華流という綺麗な悲恋の歌。

そしてシーンとエッセンスを的確に掬い取った詩と
同じアレンジでうたわれているカバー。

日本語のカバーがいいと思ったのは正直初めてだった。



「花海」周杰倫JayChou

「花海」中孝介カバー(日本語詞)


中身を比較するとこんな感じであります。

(原曲サビ)
不要妳離開 距離隔不開 
思念變成海 在窗外進不來 
原諒說太快 愛成了阻礙 
手中的風箏放太快回不來 
不要妳離開 回憶劃不開 
欠妳的寵愛 我在等待重來 
天空仍燦爛 它愛著大海 
情歌被打敗 愛已不存在

(▼Google翻訳さんの作品。ちょっと変・・・。)

Do not you leave the distance,can not separate
Thoughts into the sea could not come in the window
Love to forgive that quickly became hampered
Come back the hands of the kite up too fast
Do you plan to leave the memories not open
I owe you a favor to wait for 
the sky is still bright and he loves the sea 
Love song was defeated, my love exists there no longer



(カバー詩)
咲きほこる君の夢  追い風に 舵をまかせて
僕はただ祈ってる 夢のまほろばに進めと
思い出は花の海 今深く僕を沈めて
潮騒を奏でても 君はもう 戻らない



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中国語の悲恋ってえらくダイレクトで物質的?と思うこともままあるし
一人称なことも多いけど
この日本語アレンジには本当にぐっときてしまった。

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なのに、この中孝介のカバーアルバムは中華圏でしか売られてないという
ひどい事実・・・・・。


ここまで材料はそろってるのに
なぜ隣の国すら、そしてアジアはまだ遠く感じるのだろうか。

去年の今頃の仕事の中身とか夏休みのシンガポールとか
そんなに遠くかんじなかったのにおかしいな。

それにしても聞き取るのも難しい中国語。
翻訳するにしても、まず英語にした方がさらりと理解できたりするし。

アジアで生きてくには、エンタメ部門の理解に中国語が欠かせないだろうな。

そして、好きだ、という原動力から、聴いて、知っていくことは
やはり何より強く自分の中にも根付くし

語れる側面ももれなくついてくるという現実があるということを
改めて実感している。

2011年9月11日日曜日

料理教室なるもの

料理教室に行った話。

中高時代の友人の住むマンションで、いま最も勢いのある某教室に勤務する同世代の先生が教えてくれるという、なんともステキなプラン。

ついでに言えば、一緒にならうのも中高時代の友人たち。
ピヨっても楽しいだろう。
ピヨらなくっても楽しいだろう。

(注)
私の行っていた中高は優秀な頭脳とご両親の財力があって初めて入れる中高一貫の女子校だったので、中高時代の友人は聡明で面白くて綺麗でちょっとばかし変わってる女子ばかりである。(私はたなぼたで間違えて入った。たぶん。)

さて本題。
作った料理は2品。
パニーニと野菜スープ。
デザートには先生お手製のタルトポワール。

















そして、レシピの復習と雑談に明け暮れ、先生や旧友と写真を撮るのを忘れた。


さて、今回興味深かったのは先生の立ち居振る舞いである。

教室の基本レシピをすべて頭に叩き込み、様々なスケジュールの生徒200人弱を”担任”として担当するらしいが、その振る舞いというか、さりげなく、だが確実に時間内にアクティビティを進める図太さみたいなものがすごく面白かった。


・大雑把に生徒の力量を見極めて、名前を呼んでタスクを課す

・すぐに生徒が手を出さないことは、さっと手を出して進めてしまう

・なぜそこで塩を?みたいなところは生徒が見てても見てなくても解説を入れる

・時間重視でヤバかったら味見すらすっ飛ばそうとする(笑)

・何が起きていても顔には出さない・・・etc.


先生のプロフェッショナル魂とお教室を進めることのコツにひそかに感心したのでした。

ふつーのビジネスでも、こうした(断固とした)立ち居振る舞いできるひとなかなかいないから、どこかで使ってみなくてはと思ったり思わなかったり。


2011年8月28日日曜日

隅田川の花火

昨晩5年ぶりに花火を見に行った。

東京のそれも浅草寺の境内にふらりと行って、本当にそれだけでこれほど綺麗にみえるとは知らなかった。

大学生になってからくらいだろうか。
花火を見るといつも思うことがある。

一足遅くいくとか早めに脱出するときに(大抵会場は混んでいるのでそういうことになる)、その音を至近で聞いているだけだと、戦争報道の音声マイクから出てくる爆撃音と何ら変わらない。

風下に当たる場所にいると、暗い夜空に不思議な形で拡散していく煙とともに漂う火薬の香りも、半端ない勢いで迫ってくる。

きっとどこかの戦場でも似たような音と匂いがするのだと思う。

「みどりのゆび」のように、すべての武器から発射されるものを花と緑にすることはとても難しい。

だけど「火薬は花火に使うんだよ」っていうのを血で血を洗う場所で育って暮らしていく人たちにも伝えるような機会は、実現されてほしい気がするのだ。

同じ香り、同じ音、同じ危険性。
だけどこんなにも繊細で綺麗で一期一会の輝きがある。
そのことをもっと多くの人に知ってもらうことができないだろうか。

多くの電飾で明るいと言われる東京の空を、ここまでの明度で彩る技術は、もっと暗い夜を過ごす地域の空をどれほど明るく照らすことができるだろう。

何らかの富を手に入れたらそういうことに費やしたい。
一瞬の輝きでもいいから誰かのセレンディピティになるようなそういうこと。

私がビール片手に枝垂桜を模した花火に感嘆してるこの瞬間にも、シリアでは弾圧が続き、リビアでは最後の戦闘が続き、多くの人々が傷ついていることに思いを致して、そんなことを考えた。

2011年8月20日土曜日

超管理国家シンガポール

8月5日から9日までシンガポールで散歩してご飯食べてきた。

昨年は香港に行って同じように散歩してご飯食べてきたので
よく比較対象になるシンガポール、
そして仕事で色々調べて調べておせわになってついに行かずじまいとなったシンガポールに行ってみてきた。

1965年独立。
リークアンユーが作った超管理国家であり、経済都市国家。
物価はあまり高くなくて、華人がたくさんいるみたい。
イメージとしてはそんなもの。

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シンガポールは一言で言えば 『お掃除大国』 であった。

街中がとてもきれいだ。

朝から清掃車が走り回り、ショッピングモールも団地も豪邸も掃き掃除をしている人がたくさんいた。
ついでにいうと、ガムは国策で売られておらず、電車の中で物を食べたら高額な罰金である。
私が滞在していた中国系のパブが並ぶ街区には、ゴミ収集車が毎日来ていた。

そして多くの団地や摩天楼的なビルが立ち並ぶ割には、空が広くて緑がふんだんに配されている。
駅前やロータリーに広場や公園が作られているケースが多い。また、川沿いなどのプロムナードもかなり横幅を広めにとっている。
ゆえに空が広くて東京はなんであんなに息が詰まるのだろうとぼんやり思った。

それからワーキングガールがやたらおしゃれだった。
若い子の中にはミックスとみられる美女もそれなりに居て、とても見応えがあった。
あと、官公庁から警察、軍隊、日雇いまで様々な職業に就くインド人がいるのも、驚きだった。
もともとが東インド会社の警備部隊として入って来ているのだというが、この国をフィジカルに支えているのは間違いなくインド人コミュニティなんだろうと思った。

一方で、聞いてはいたけれど、物乞いやホームレスの類は居ない。みすぼらしい服装の人も見かけない。基本的には皆とても清潔な服装をしていて、行動も規律正しい。
ホテルの近くで1度だけ座ってビンを置いてるおばちゃんがいたけど次の日の夜にはいなかった。

それから、身体障がい者もほとんどいない。精神障がい者は皆無。ダウン症の子供も見なかった。

正確に言えば、手足が不自由だったり、車いすに乗ったり、歩き方がおっくうそうな人はいた。しかしそれらの人々は大抵介助者もなく一人で移動しており、コミュニケーションにも不自由は全くしていない様子だった。

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ざっと書き出すだけでもこういう感じである。

シンガポールという国に、滞在してみてとても興味を持った。
この国には目には見えないものをつかんで引き寄せて、そしてパワーに換える力がある。
それがなければ今日の姿はないということなのだろう。
この国の政治経済について、ちょっと文献探しをして深く学びたいと思う。

2011年8月14日日曜日

ブログ2代目開設


メモランダムとして再開してみようと思うのです。

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2年くらい前にすこし心身を病んだ時に、ブログもうまく更新できなくなった。

そこから這い上がってどうにか回復した後は、ワークライフバランスという言葉に嫌悪感を覚えるほどの忙しさに埋没していった。

1年ちょっと前からはSNSなどを通じて、吐露はしやすい感じになってきた。

この春ついにグループ会社に異動になって、大好きだった法務コンプラからも国際系の仕事からも外れて、どちらかというとヒマになった。

頭の周りで再び言葉たちがほよほよと漂うようになった。

夏休みが終わるときに、日々のよしなしごとでいいから書く場所が欲しいとストレートに思った。

そんな感じです。


【前身のブログ】
beyond the paradise
2004~2010まで。
大学時代のエントリが多いです。