封切日に映画行くのも有楽町スバル座も久しぶり。
1.映画の役割
この作品は標題のとおり「悲しむ時間さえない」状態に直面した10日間を映像にして再現したものだ。
映画の最後(震災発生から10日程経過後)になると遺体は遺体袋に入って運ばれ、体育館の中も最低限の衛生状態や秩序が保たれる。それは私含め多くの人がインターネットやテレビで目にした遺体安置所の様子とそう変わらない。
「そこにいたるまでの情景」、誰も切り取ることも映すこともできなかった、記憶の中でゆっくりと風化していくのであろう「空白」の部分を、言葉や静止画ではなく、群像描写として、事実を伝える映像として作り出しているのがこの映画だ。
実現できている作品がどれほどあるのかは分からないが、再度作り出し目の当たりにさせることができる、というのは映画の持つ特異な役割のひとつと言えるのだろう。
とはいえ、凄まじかったであろう臭いや凍り付くような寒さは映像のみで伝えるには限界があり、何となく推し量ることしか適わない。だが、描かれる人々の言葉や、動きの端々から、先の見えない辛さとともにそれらの情景もかなり伝わってくる。力のある役者さんが揃えられている意味がだんだん見えてくる。余談だが、出演者の表記は50音順となっており主演表記もない。
そして一方で、話の流れはルポルタージュに徹する。
あくまでもドキュメンタリーとして遺体安置所を舞台に震災後10日間を切り取る。
描かれるもの以外のその前もその後もない。
このルポを、映画で、再現する、その行為の意味。
これを企画として立ち上げた人すごく強くて勇気ある。そう思った。
2.電気がとまるということ
映画の舞台は釜石市。
市内を二分する川からみて海側が津波にのまれ、川向こうの高台部分、そして川からみて山側は津波の被害を免れる。
被害を免れたとはいえ、人々は、家はあるが食料はろくに手に入らず、電気等のライフラインがほぼ断線している。その結果、情報がなく、起きていることの悲惨さがうまく手に入らない/伝わらない。だけど遺体を運び、検死し、並べ、家族を捜す人や遺体から離れられない人の対応に追われ、市長に掛け合い、そうした時間を通してすこしずつ現実を目の当たりにしていく。
そして作業は日が暮れると終了する。
改めて電気がある暮らしと情報の伝播について考える。
電気の供給が万能ではない場所に生きることの強みと弱み。
情報って何だ。
地域コミュニティは脆弱となり、あるいは消滅して久しい。
私自身、隣に住む人とすら町中で顔を見てもわかるかどうか自信がない。
その反面、私たちは電気なくしては得られない情報ネットワークの中にコミュニティを再構築したり見いだしたりする場面がいよいよ多くなってきていて、電気の供給が大前提のネットワークやコミュニティは電気によって生き続けている。現時点で、このことに向き合っていないからと言ってそれほど困る訳でもないが、これから起きる出来事によっては、少なからぬ代償を伴い私たちの肩に食い込んでくるのだろう。情報が極端に少ない状況下において描かれる強さと弱さを観ながらそう思った。
3.身近であるはずの「死」
津波で冷たい海に飲まれてしまった人々の身体。
それは遺体かそれとも死体か。
前述したコミュニティとの分断の結果として、私たちは、いや少なくとも私にとって死はそれほど身近な物ではない。
本来は身近であるはずにもかかわらず、私のコミュニティにおいて、年齢柄友人の結婚や出産は聞けども、死はあまりない(これからあるだろうけど。)。祖父、曾祖母、大叔父たちの死。それとて通夜に付き添い遺体に触れて涙したのはその半分くらいだろうか。一方、金沢で独り暮らす祖母のコミュニティはそうでもない。死もあれば生もある。若干、病や死の話が多いかもしれない。日本ではすでに生まれる人間より死にゆく人間の方が多いのだから、祖母のコミュニティの方が普通の状態に近いのではないか。
劇中で西田敏行演じる民生委員のアイバさんが話す内容がさらに別の一隅を明かす。
親族がいても見送る人のいない、葬儀社の人間だけで見送る遺体があるのだという。
どのようなコミュニティに生きるのか。
どのように家族と、そして生と死と向き合って生きていくのか。
そういう問いを突きつけられた気がした。